猫の経済学 野良猫のリスク

本日Hetareがイタズラにあった。心無い人間に眉毛と髭を書かれてしまった。

最初Hetareを見た時、車かバイクかススでもついたのかと思って、タオルで拭いてあげたが、全然取れない。これは人間の仕業ということが判明した。

 野良猫は常にリスクの高い生活をしている。食べ物にありつけるか、人間にイタズラされないか、ライバル猫との決闘などなど様々な困難に直面する。Hetareはそういう意味では弱者である。なんとか生き抜いてきて、ようやくご飯を与えてくれる人間パトロンを見つけた。よってこの辺りから一歩も動こうとしない。テリトリーも増やさなければ、天敵がやってきてもジッと座って耐えるのだ。これはHetareの戦略なのか天然なのかわからないが、とにかく人間の善悪が見極められない。

 弱者と知ってしまった私は、最低限の保障をしてやるつもりだ。ある種年金のような感じである。現物食べ物支給およびメンテナンスぐらい。家猫にすればいいじゃん。という声が聞こえてくるが、これは難しい。なぜなら野良猫は決まったところで排泄するのは大きくなりすぎた猫には困難であるし、彼らの自由を奪ってしまうことにもなるからだ。野良猫のリスクは野良猫本人が引き受けなければならないと考える。しかしながら、メリットもある。それは自由である。家猫よりも。それはどこでも散歩に行ったり、好きな猫と恋愛したり、しかも複数可能だ。沢山の人に可愛がられる可能性だってある。そこで私の結論は社会保障案だ。最低限の保障はするが家はない。野良猫キープで必要な水とご飯とブランケットは差し出す。先日ダンボールを設置してあげたのだが、それすら翌日盗まれた。インドネシアはまだまだ厳しい生活の方が多い。ダンボールでも売れるから奪っていかれるのだ。Hetareよ。たくましく生きるのだ。サポートはするよ。野良猫人生楽しかったと言って天国へ行くまでね。